NewsPicks「おっさん」騒動について思うこと(3)/中年男性に対してなら何をやっても許される風潮への疑問

日本経済新聞に掲載された「さよなら、おっさん。」広告が端緒を開いた、NewsPicks「おっさん」騒動。

「リテラシーの高いはずのユーザーが集うNewsPicksが、こんなにリテラシーの低い広告を打つのか」と驚いたものです。連載の内容を鑑みるに、もう少し適切なタイトルがあったと思うのは私だけではないでしょう。

しかし、今回の「おっさん」騒動で、「中年男性に対する風評被害だ」という主張があまり見られないことが気になります。


仮にこの記事のタイトルが「さようなら、おばさん。」だったら、NewsPicksがフェミニズムからの厳しい批判に晒されていたことは想像に難くありません。別に「男性差別」と騒ぎ立てたいわけではありませんが、「さようなら、おっさん。」が男性差別のコンテクストで批判されないことには強い疑問を感じます。

あるいは、前回の記事で述べた通り、「おっさん」の定義に当てはまるのは中年に限りません。大学生でも「おっさん」たり得るわけです。

改めて「おっさん」の定義を確認すると、

  1. 古い価値観に凝り固まって、新しい価値観に適応できない
  2. 過去の成功体験に執着し、既得権益をふりかざす
  3. 序列意識が強く、自己保身的
  4. よそ者や異質な存在、序列が下の人間に対して非礼

で、一言で言うなら「新しいことを学ばない(アップデートしていない)存在」。そしてこの定義に当てはまるのは老若男女関係なく「おっさん」。

別に中年男性に限らないので、本来ならラベリングは「おっさん」じゃなくても良いはずですよね。「おばさん」でも「お兄さん」でも「お姉さん」でも。


じゃあ、なぜ「おっさん」という中年男性を想起させるワードなのか。それって、NewsPicksに限らず日本全体に「中年男性になら何をやっても良い」という潜在意識が蔓延しているからなんじゃないでしょうか。

女性を攻撃すれば「女性差別」と叩かれる。若者を攻撃すれば「老害」と叩かれる。したがって、女性や若者は「叩きにくい」ないし「叩けない」存在。

でも、中年男性を攻撃したところでカウンターは返ってきません。むしろ扇動されるどころかフェミニストや活動家の皆さんが加勢すらしてくれる。中年男性というのは「大手を振って叩くことのできる存在」になってしまっている。「オタク差別」に似ていますね。


だから、例えば「弱者男性」には支援の目が行き届かない。「おっさんなんだから」と突き放されて、手を差し伸べられないまま。

あるいは「弱者男性」問題や「キモくて金のないおっさん」問題も、まるで存在していないかのよう。

社会全体にそのような風潮が蔓延してしまっていることについて、今ここで議論しても仕方ありませんが、その風潮を強めかねない(中年男性がより排斥されかねない)タイトルというのは、果たしてメディアの姿としていかがなものでしょうか。しかも、よりによって「知的」路線を歩んでいる(少なくとも「歩んできた」)NewsPicksが、中年男性に対する差別的なタイトルを打つことは疑問でなりません。これではリテラシーのレベルがスポーツ新聞や週刊誌と大差ないでしょう。

スポーツ新聞や週刊誌はまだしも、NewsPicksまでもが「中年男性ならコケにしても良い」論調に立っていることに違和感を禁じ得ません。


もちろん、NewsPicksが定義する「おっさん」は中年男性でないことは重々承知です。なら、なぜ「おっさん」というワードなのか。別に「おばさん」でも良いじゃないですか。

でも、フェミニストが怖いから中年女性を想起させる「おばさん」にはできない。一方で中年男性を想起させる「おっさん」なら誰も何も言ってこないから安易に叩ける。だからタイトルを「おっさん」にする。論理としては分からなくもありません。


ただ、そのNewsPicksの姿勢こそ「おっさん」の定義にある「序列意識が強く、自己保身的」「よそ者や異質な存在、序列が下の人間に対して非礼」に該当するんじゃないでしょうか。自分たちとは違うマインドセットの持ち主を「おっさん」と定義して、序列の下層に位置づける。さらに歩み寄るわけでも啓蒙するわけでもなく「さよなら」と切り捨てる。でも自己保身的だからタイトルを「おばさん」にはしない(できない)。


もしかして、今回の連載は「NewsPicksはご期待いただいているほど先鋭的じゃありませんよ」というメッセージなんでしょうか。そう思わざるを得ません。

もちろん、記事の内容は納得できるものです。私が感じてきた違和感や不満を言語化してくれているもので、ぜひ多くの方に読んで欲しいと思っています。だからこそ、タイトルの付け方には疑問を感じてなりません。そして何より、「中年男性ならコケにしても良い」かのような姿勢には、「中年男性になる将来が約束された者」として違和感と憤りを禁じ得ません。

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